HiGH & Low THE MOVIE
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画面から本当にものの見事に消されてるものがありますね。「暴力」です。 女性が見たい男性が全部ショーケースにならんでる感じ。現実の男性が一切出てこない感じすごい。
現実のヤンキーとか不良知らない人たちの、想像上の架空のヤンキー。
なんか全体的にオタク臭いというか「オタクに行かなかったオタクのためのコンテンツ」って感じ。 全員登場人物がお互いの名前を呼び合ってるだけ。こういう掛け合いもオタクっぽい。うげえ。
女の名前は基本「女」。
こういうのにキャーーって言う女の人にちょっとイライラしちゃうのは「本当の不良に迷惑かけられてるし、こいつらに合わせて男性文化を内面化してこっちは生きてきたのに、結局それを女は楽しむんかい!(無責任)」みたいな気持ちになるからなんだよな。
もちろんファンタジーを消費してるだけなのはわかりますけど。でも、普段たとえば男性が女性をファンタジーだと思って消費してるジャンルがあったとして、それは「偏見の強化」すなわち「差別や抑圧の温存」だって厳しく糾弾されるじゃないですか。そもそも人間ってそんなにファンタジーだって割り切れてるものなんですか?ってのも普段フェミニストが言ってることでしょうよ。
少しでもこういうものをかっこいいとか気持ちいいというメンタリティが、現実の男性社会での不良による抑圧、引いてはそうした不良性を内面化することが推奨される性差別的性別役割規範的なホモソーシャル社会の温存だと言われたらぐうの音も出なくないですか?
結局、こういうのに興奮するマインドが「男子の騎馬戦にキャー!」みたいなのを支えてんじゃないの? っていうか、これ、2時間に延長された騎馬戦じゃん。 でも、恋愛要素ほぼないからすごく見やすい。
セリフも短くて役者も無理をしていないからか、思ったよりも破綻が少ないんですよ。
だれもなんでこれを「ホモソーシャル」って言わないのかですよね。やってることはホモソーシャルなのに、そうだと言う気をなくさせるのは何なのかっていう。 要素だけを書き連ねていくと本当にホモソーシャルそのものなんですよ。女性を排除し、その女性は単なるトロフィーというか通貨としてしか意味を持たされていない。そして男がケンカで相互に絆だけを深めあう世界。普段あの作品もこの作品もちょっとの「それ」で「ホモソーシャルだ!」って批判する人、してそうな人がこの作品にはそう言わないのって単純になんで?って思う。
他方でなんていうか、不思議とまったく不快感がないんだよね。だからそこをもっと言語化したいなって気持ちになるというか。
期待してるものをすべて見せてくれるし、そのレベルも高いと感じる。かっこいい男子がたくさん出てきて、騎馬戦してくれる。一応最後にドラマもつくって。求められていることをすべてきちんとお金かけてやってるよね。予算がたくさんついたTVドラマって感じ。
LDHってもっとオーセンティックかと思ったけど、2020年代の今見るととことんフォニー。「あっち」の音楽になんか聞こえずどこまでもJ-POPって感じ。まあ、今はAdoとか藤井風が平気でいる世の中ですからね.....。